田舎ちゃんの頭の中

岡山県在住25歳のOL。ド田舎で豊かに生活すること、素敵な人になることに焦点を当てて、趣味・勉強・経験・人生観などを書き連ねております。要は雑記です。

彼氏とお別れをしました。

彼氏とお別れをした。

 

友達の「知能が低い」に引っかかって、

簡単なIQテストを受けてもらった。

(IQテストで全て測れるとは思っていません。あくまで参考)

 

8問あって、私は1問ミス

彼は5問ミス

 

なるほど。

 

解説してほしいと言われたので、

解説してもう一度解かせてみると

「なんだ(俺)解けるじゃん〜〜〜」

と言っていた。

 

(私が今教えたから解けるんじゃん!!!)

 

で、さらに。

「こんなのは受験勉強していないと解けない」

と言っていた。

 

小学校お受験を控えている幼稚園児と

一社会人が比較をして、自分は勉強していないから

幼稚園児よりもできないはずだと認めていた。

 

大学受験を控える高校生ならまだしも、

知識を問わない幼稚園児と比較して、

自分を正当化させていた。

 

そこで、この関係はもう難しいなと思い、別れを切り出した。

 

すごくよくしてくれて、とても嬉しかった。

だからその分申し訳なく感じた。

また、私が受け入れられなかったから

関係が終わるのであったから、

非常に申し訳なかった。

 

でもお互い嫌いになって別れるわけではなかったし、

別れるときに執着しないタイプだったから、

円満に別れられてよかった。

 

別れるにはエネルギーを使った。

自分の考えを固めること、

この考えは正しいのか、

とても悩んだ。

 

生理も5日遅れた。

別れた次の日に生理が来た。

 

友達に話すと、「次は?」とすぐ聞かれるが、

正直、今の今、新しい恋愛に進む気にはなれない。

 

少し休憩してから、また。

 

 

<他にあった違和感>

猫背矯正のために教えた体操5秒×5回をしたと報告してきたり、

本を見始めただけで達成感を感じているところがあった。

ひろゆきさんの動画で

知能値数の低い人はちょっとしたことで達成感を感じる

と言っていたのが、当てはまった。

最初に始めるきっかけとして小さなハードルからというのは

すごくよくわかるが、感じている達成度が大きすぎる違和感があった。

彼氏の知力が低い

ずっと彼氏と話が合わなくて、

このモヤモヤはなんだろうと思っていた。

 

今日、友達にその悩みを相談したところ、

「知力が低い?」と言われてハッとした。

おそらく彼氏は知力が低い。

 

ハットはしたものの、確証は持てなかった。

なぜなら知力とは何か自分の中で定義がわからなかったからだ。

 

検索してみた。

知能(ちのう)は、論理的に考える、計画を立てる、問題解決する、抽象的に考える、考えを把握する、言語機能、学習機能などさまざまな知的活動を含む心の特性のことである。」 出典:wewblio辞書

 

彼氏は論理的に考えることが苦手だ。

話や考えの理論が通っていなくて、話が進まない。

 

問題解決も苦手だと思う。

私への愛情は大きいため、2人の間での喧嘩は解決しようとするが、

職場にいる人たちとの関係については

他人に責任転嫁をして、片付ける。

自分の能力をあげたり、対応の仕方を変えるなどで、問題解決を使用としない。

 

言語機能が弱く、悪い意味合いの言葉をチョイスし、他人を苛立たせる。

そしてその言葉が悪いことに自分で気がついていない。

 

学習機能も弱い。問題解決と重なるのだが、自分で学ぼうとまずしない。ランクの低い大学に通っていたのも、学習機能が低かった相関もありそうだ。

勉強は量より質だと主張していた。(どちらも大事であるが、量の方が受験勉強に於いては私は大事だと考える。)今、本もほぼ読まなくて、本を読み始めたということで褒めてもらおうとしていた。量が圧倒的に足りなく感じる。

 

他に見た記事で下記があった。

「能力が低い人は、自分の能力が低いことに気づく能力も低い」

「なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか」

「知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない傾向にあることが判明」

 

面白いほど彼に当てはまった。

 

能力が低い彼がこのことに気づきにくいわけがわかった。

これからどうしようというよりも、

私の中で別れが固まっている。

すごく愛してくれているからとても罪悪感がある。

受け入れられなくて申し訳なく思う。

でも、これまでの彼女が遠距離が理由になる以外で

別れたことがなかったなら、

私よりも付き合っている期間に問題の生じにくい

話の合う人と付き合った方が幸せになれると思う。

 

2021年半年経って目標の振り返り

両学長の下記動画を見て、自身の目標をふりかえり

 

youtu.be

 

 

目標:ブログ収入を得る

行動:毎日発信

現在:ほぼ発信なし

   何を書くかも定まってない

   文章を書くのに苦手意識あり。勉強の必要あり。

 

目標:TOPIK5級

行動:1日10分勉強

現在:してない

   韓国人ナムジャと連絡が途切れたので、韓国語の必要性と欲が湧かず

 

目標:資産1300万円

行動:株でも稼ぐ

現在:700万円程度

   →2月に約150万円程度、負けたのが原因

    1300万円は厳しいので1000万円に修正

    (それでも厳しそうだが。副業を増やせばいけるかも)

 

目標:副業、給与越え

行動:プログラムを作る

現在:値下げプログラムを使用

   利率が20%を超えるなら達成。

   余裕が出てきたので、また追加注文検討中。

   (母のキャパシティを聞く必要あり)

 

目標:55kg代になる

行動:月0.5kg減

現在:61.5kg。ペース上げなきゃ。月1kg目標。

 

目標:月10時間は美容勉強

行動:同上

現在:してない

   あまりやる気が起きず。

 

目標:SNSフォロワー1000人

行動:毎日書く

現在:してない

   やる気起きず。発信テーマが定まってない。

 

目標:本、年20冊読む

行動:週末時間使う

現在:10冊くらいは読んだんじゃない?

   iPad手に入れたので、本が読みやすくなった

 

目標:がっつかず、余裕を持つ

行動:マインドセット

現在:恋人はできた。

   (今別れたいからか)がっついてない。自分の時間を大切にしている。

 

目標:飲み会を楽しく工夫する

行動:情報収集・トレンドを汲む

現在:コロナ禍であるにも関わらず、いろんな形で飲み会できている

 

 

詳しい目標が立てられていないと、やる気が起きないし、何をしていいのかわからない。

目標や行動の見直しが必要だと感じた。

車を乗っていいと許可が降りた!

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私、現在26歳。今年で27歳になります。

 

実家に帰って早3年。

いまだに1人で運転したことがありません。

 

家は3人家族で、車は2台あります。

そのため、車を借りる事は可能なのですが、貸し出しの許可がこれまで出ませんでした。

 

理由は運転の経験が少ないから。それもそのはず、これまで運転した走行距離は合計で100キロも満たしていません。今年の走行距離は約30キロ、1番最後に運転したのは2ヶ月前と記憶しています。しかし本日、お風呂に入りながらLINEで両親に「友達と紫陽花を見に行きたいから車を貸してほしい」とお願いしてみると、「いいんじゃない」との返事が!

 

お風呂上がったらすぐに親に、なぜオッケーを出してくれたのかと聞きました。父は「誰もが通る道だから」と説明してくれました。

 

母がお風呂に行き、父と2人になった時に、父は母を説得したと言いました。これまで許可を出すのを渋っていたのは母でした。おそらく、ラインでもうすぐ27歳と言っており、それが父に響いて、母を説得してくれたのだと思います。いつも母もなかなか乱暴な運転をして人のこと言えないよね、と笑いながら言ってました。母は父と結婚した当初、ゴールドドライバーだと自慢していたらしいですが、ペーパーもいいところ。運転はさっぱりだったと言います。それを父が競輪場の駐車場で特訓してやっと乗れるまでになったらしいです。

 

こんなにあっさりとオッケーをもらうことができるなんて思いもしませんでした。

いつもとは違う形でお願いをしてみるもんだなぁ。

iPadの機能をYouTubeで勉強した日

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iPadには、いろんな機能があるのは聞いていました。

先人の知恵をかけたほうが絶対に効率が良いなと思ったので、

YouTubeを見て勉強しました。

 

今の時代はすごいですね。

こんなにきれいにまとめられていて、

かつ、とても有益な情報を無料で提供してもらえるなんて。

 

YouTubeを見ながら、直接iPadに操作していけるのは

すぐ実行に移せている感覚がして嬉しかったです。

 

基本的な最初に行うべき設定をした後、

必須だと説明されていたアプリケーションを入れてみました。

 

動画で説明されていた中でも無料のアプリケーションは

とりあえず全部入れてみて、1つずつ使ってみようと思います。

 

アプリはスマートフォンのために入れていたものしか知らなくて、

iPadならではのものがたくさんあって感動しました。

 

イラストを描きたいと思っていたので

Photoshopを人生で初めてダウンロード。

(これまではイラスト用にWindows用のSAIを使っていました。)

最初はキーボードに立てらせたまま書き込んでいたのですが、

一回机に置いてみて書き込むとまあ感動。

iPadってノートのように直接、書き込める!!すごい!!と気づきました。

 

そのメリットに気づいてからノートアプリを入れてみました。(goodnotes5)

これが有料で980円するため、躊躇してたんですが、即購入。

書き込んでみるととても快適。

 

中学生の時にイラストを描いていた時のペンタブに

感覚がちょっと似てるなと思いました。

けど直接画面に書き込むっていうのが、ほんとに素晴らしいなと感じました。

 

イラストのリハビリをしたいので

ちょこちょこサムネイルで描いていけたらいいなって思っています

 

iPadが届いた日

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Day1

iPadが届きました!

 

初めてアップル製品でパソコン形のものを買いました。

これまではiPhoneしか買ってきたことなかったので、、、

 

みなさんご存知のお通り、iPadスマホを大きくしたようなものなので、

キーボードとペンシルは付属で買いました。

 

買おうと思った理由は下記の通りです。

1.デスクトップのある机以外で作業がしたかったから

2.勉強の効率が上がると目にしたから

3.カフェとかで仕事出来たらかっこいいなと思ったから

 

さらに要約すると持ち運びの良さと効率とかっこよさです

 

メルカリで中古品を買おうと思って見てたのですが、

全体的に高くて、購入するのに勇気が入りました。

気に入らなかったらまたメルカリで売れるし、

何事も経験して見ないとわからない!と思ったのでポチッと。

 

かっこいいから買ったはいいが、使わなかった人のを

譲って頂いたので、とても状態が良く感動しました。

 

iPadiPad Airと悩んだのですが、

縁が黒くてかっこいいのと、Apple pencil2が使えるAirに。

 

届いてから気づいたのですが、好きなグリーンでした。

(商品ページで色はよく見ていなかった)

 

キーボードを買った理由は、

気分の違う場所でタイピングがしたいのと、

気軽にブログを書いて見たかったから。

 

apple pencilを買ったのは

中学生ぶりにイラストが描きたかったから。

 

どれも活用して、もっといろんなことができるといいな。

目標というか、果たしたいことは、

アウトプットをしっかりすること!

 

毎日練習してみます〜

ありがとうを求めること【偽善】

中学生の時に、なりたい職業がわからないと母と話していた時、看護師はどう?と勧められた。その時、看護師の仕事なんて偽善じゃんと一蹴していたらしい。

(この当時のことは全く記憶ないです。不快にさせてしまったら申し訳ございません。人を助ける素晴らしい職業だと思っています。)

 

でも実際”偽善”が何かよく分かっていなかったし、今でも得体が知れなかった。

 

そこで、この本を読んでいたら、それらしい答えが出てきた。

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書) | 泉谷 閑示 |本 | 通販 | Amazon

 

ひとつ、相田みつをさんが、「人のために善いことをすると書いて偽善」とどこかに書き残しているらしい。

 

これだけなら

読みたい漫画を貸してあげるよ、だとか

宿題移させてやるよ、だとかも

人のために善くすることだが、偽善だとは思わない。

 

偽善は

人のために善くすることではなく

「見返りを期待してしまっていること」である。

 

 

 

父は小学生の夏やすみにプールで500円玉をなくしてしまった女の子のために1時間ほど一緒に探してあげたエピソードを思い出した。最終的に見つけたコインを少女に渡してあげたとき、ありがとうの一言もなかったらしい。父はその時の不快感を覚えているらしい。

 

偽善の定義に当てはめるなら自分が頑張って労働して、見つけることを達成して、感謝の見返りがなかったから不快に思ったのかなと。

 

いいことをしてあげたらお礼を言われるのが当然と思っていたらそうなるかもしれない。しかし、この考え方自体が偽善を生んでしまう温床になっているのではないか。日本でも世界でもおそらく何かされたらありがとうと言いましょうと親から教育を受けているはずと思っている人が多いかもしれない。親から教えてこられたものと言っても、人の生まれ育った環境によってことなるだろうし、自分の価値観で決めてしまっている。

もし周りを見渡すだけでさっと見つけられていたら不快感はゼロではないにしろ、1時間探した時より小さかっただろう。1時間には自分の時間と探すという労働を犠牲にしているという自覚が芽生えている。

この偽善の対義語として仏教としての喜捨を挙げる。喜捨は相手のことを思ってするのではなく、自分は必要ないからあなたが欲しがっているならあげるよというものである。自分が満たされている状態だったら偽善ではなくて喜捨となる。善意としてすることは感謝の言葉さえも求めなくてもいいという状態なのだ。

 

ギリシャに旅行しているときに、移民と思われる物乞いをしている家族が地べたに座っていた。その前を通ったとき、私は手に食べきれなかったほうれんそうのキッシュを持っていた(切れてあるので食べ掛けではない)。もう食べないだろうなと思ったから、その母親らしき人に渡した。ありがとう的なことを言っているだろうが、何語かわからなかった。まあそれっぽいことを言っているんだろう。その場を去って、ぱっと振り返ったときに母親は子供にそのキッシュを渡していた。子供は袋の中身を見てぽいっと捨てていた。緑色がおいしくなさそうに見えたんだろうな。あまりにも呆気なく横たわる紙袋にあーあとは思ったが、子供の素直さに吹いてしまった。そしてまあいっかと他の目的地に向かった。この行為は喜捨に当たるものだったんだろうなと思う。

ギリシャの時は余裕があり、府の感情はたまたま生まれなかったが、また自分が誰かに施すとき、見返りを求めてしまったとき、よろしくないなと自分を戒めたい。

 

感謝をないがしろに捉えているわけではない。あくまで人のためにすることをしている当事者の話である。逆を取れば、誰かがしてくれた好意に対して感謝を示していればその相手は満たされるため良いと思う。そのため他人から何か受け取ると感謝は常にした方がいい。

 

神学者フロムは赤ちゃんは欲望のままにいて「未熟な愛状態」であるが人は成長によって愛が成熟していく。年とともにある程度は成熟するかもしれないが、その度合いはその人自身の意識の持ちようによるだろう。

聖人君主・悟りを開いた人じゃないとそんな風に考えられないんじゃないかとの反論があるかもしれない。欲望がない境地で他人に愛を与えるところを目標にすると気後れになってしまう。素晴らしい地点を境界線で自分を区切ってしまうと自信の成長に見切りをつけるためしたくない。自分が愛を与えられるような成熟した人になるには自分をまず満たすことが必要だ。できることから少しだけでも。余分な部分から、余裕から愛が生まれる。